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実録:41歳からのネット稼業〜やみくも爆走篇(1)

忘れないうちに
そろそろドタバタ起業篇の続きを始めよう。

もっとレベルの高いところで商品開発をしたくなったボクは
日本で「この人!」と言われるギター製作家のリストを作った。
そのリストの上から順に電話をかけて
取引してもらえないか、掛け合うつもりだった。

どうせなら自分で企画したものを
最高の技で製作してもらって
自信を持って売りたかったからだ。

もちろん、コネもあてもない。
ないものはないのだから、しょうがない。
いつもの通り、でたとこ勝負のあたって砕けろ作戦だ。

ここでもボクは掟破りをやっている。
普通、トップクラスのギター製作家は
みんな自分のブランドを持っている。
それを卸や小売店で販売してもらっている。
(一部、直接オーダーを受けて販売するケースもあるが
日本では希な例だ。)

つまり、自分のブランドを持つトップクラスの製作家に
他でもない「ボクの」ブランドで販売するギターの製作を
請け負ってもらおうととしているのだから
相当ずうずうしい。
いわゆるOEM生産なんて、普通、考えられない。

それに、だいたい、こうした製作家はみんな
何ヶ月もの先(人によっては何年も先)のオーダーを抱えていて
例外なく忙しい。
しかも、原則的に手工だからいっぺんに大量生産できない。
というか、しない。
同じ型のモデルを同時製作してもせいぜい2〜3本がいいとこだ。
だから、速くてもオーダーしてから6ヶ月以上は絶対に待たされる。

しかし、だからこそ、高いレベルの仕事が出来る。
ボクは、どうしても、そのクラスのものにしたかった。

一番上にリストアップしたのは四国愛媛の製作家だった。
実は、この人が
今もボクのブランドのギターを作ってくれている塩崎氏だ。

信じられないことにリストの一人目
つまり一番製作してほしい人に思いが通じたのだ。
全く、何でもやってみなければ判らない。

電話したときは留守だった。
何度かけても誰も出ない。
仕方なく留守電に録音した。
本当は留守ではなくて、当時、製作中は絶対電話に出ない人だった。
※今は、システムが変わって出てもらえるけれど、
手が離せないときはかけ直すようにしている。

電話してから1週間以上たったころだと思う。
「お電話もらってたようで・・・」
「あ!」と叫んでから、
この電話を切られたら終わりだと思って
一気にまくし立てた。

自己紹介から始まって
ネットでギターを売っていること
オリジナルブランドで販売したいこと
高級手工ギターに特化したいこと・・・などなど。

気がついたら愛媛訪問のアポを取っていた。
電話では埒があかない。会って話した方が絶対イイ。

で、数日後、ボクは
塩崎氏の工房でさらに6時間以上しゃべり続けた。
ほとんど拘束状態だ。
最後は、もう疲れたんだと思う。
「いいですよ。やりましょう」と言ってもらったときは
正直、こっちも体から力が抜けた。

塩崎氏は僕の要求をほとんどOKしてくれた。
彼もネットの可能性に興味を持ってたみたいだったし
さらに、それを、
既に販路が整備されている自分のブランドではなくて
全く無名のボクのブランドでやる方がいいとの判断もあった。

早速、オリジナルブランド第1号の試作打ち合わせに入る。
実は、この試作でボクは彼の名人たる所以を知る。

ボクの構想はもう既に固まっていた。
一応、スペックを紙には書いて持ってきたが
出したい音を説明するのに
いくつか、参考になるCDを聞いてもらいながら
ああでもない、こうでもない、と
しどろもどろで、おおよそのイメージを伝える。

だが、ここで塩崎氏はほとんどメモを取らない。
話しながら、頭の中の無限にある引き出しから
さまざまなデータを出してきてはつなぎ合わせ
ひとつの音像に結ばれるよう
目に見えない設計図を頭の中で描いているらしい。

「本当にちゃんと伝わったのかな」と不安になりつつ
待つこと数ヶ月。
ようやく手にした試作を弾いてみて驚愕した。

イメージしていた通りの音がポ〜ンと鳴り響いてきた。
寸分の狂いもなく、ボクが出したいと願ったそのまんまの音。
スゴイ感性と技術の人だ。

世界には名匠と呼ばれる製作家が一体何人いるのか知らないが
彼は間違いなくベストと呼ばれる匠のひとりだと信じている。
そんな製作家と組めて全く幸せだと思う。

教訓:一番つきあいたい人から攻める

BGM:Russ Barenberg “Moving Pictures

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